ケーキ屋激戦区で
31年西宮の
老舗洋菓子店です。
菓子工房ダヴィンチ
有限会社ヨイズカンパニー
代表 吉川知志
ケーキ屋激戦区で
31年西宮の
老舗洋菓子店です。
菓子工房ダヴィンチ
有限会社ヨイズカンパニー
代表 吉川知志
本名:吉川 知志(よしかわ さとし)
生年月日:昭和41年4月10日
血液型:O型
星座:おひつじ座
自宅:兵庫県西宮市大屋町20-9
既婚
所属団体:守成クラブ大阪会場
※タバコは吸いません
※お酒は飲みますが、最近弱くなりました。
大阪生まれの大阪育ちです!
◆桃の里幼稚園 (年小まで)
◆幼稚園を転園しましたが不明
◆大阪市立太子橋小学校
◆大阪市立今市中学校
◆大阪府立茨田高等学校(2年中退)
◆辻製菓専門学校一期生
中学生の頃の私(手前)と、兄
母子家庭がコンプレックス
幼稚園の時に両親が離婚。 祖母、母、兄の4人での狭い文化住宅暮らしが始まりました。 その頃母子家庭は少なく、学校のクラスでは私一人でした。それがコンプレックスだったんです。ですが、母は父親が居なくても何不住なく育ててくれました。 細腕一本で頑張ってくれてた母親の後姿をいつも見ていて、「いつか見てろよ! 絶対に起業して成功して、親孝行してやる!」と心に誓っていました。
刑事さんの言葉で高校中退を決める
母に喜んでもらうために高校に行ったのですが、友達とも馴染まず、勉強もせずにいました。
高校生でいる事の意味がわかりませんでした。早く働きたかったのかもしれません。
当時住んでいた街は今から考えると治安が悪い街でした。
周りの中学校もガラ悪い連中が多かったです。
絡まれる事も多かったので、ケンカに強くなりたくて、中学生の時から空手を習い始めました。当時ケンカもよくしていました。 ある日、友達数人でワルサをして警察に補導されたんです。
後日刑事さんの取り調べ中に、刑事さんが「なんやお前元気ないやないか?何か悩んでんのか?」
私 「学校に行ってても面白くないんです。高校やめて専門学校に行きたいんです。将来調理師になりたいんです。」
と刑事さんに告げたところ、
「高校辞めてからどうするかも決まってるんやろ?それやったら、早よ高校やめて決めてる道に行け!」とアドバイスをもらい、高校を中退することにしました。
辻製菓学校1期生
幼い頃、決して裕福では無かったのですが、母親がいつも美味いもの食べさせてくれ、何不住なく豊かに育ててくれたのですが、そのお陰でその当時から自分の舌の感覚が磨かれていたのだと思います。
小学校の頃から、図工や美術が得意で、将来何か物を作る仕事に就いた方が良いと思っていました。 初めは調理師かなと思っていました。
高校を中退後、辻調理師専門学校に申し込んだのですが、その年に製菓学校が新たに出来る事を知り、ケーキの方が立体的に表現出来て芸術的だと思い、製菓の専門学校に入学しました。
俺はケーキ屋で一発当てて、お母さんに親孝行するぞ!と心に誓ったのです。
移転前の店舗 ここで19年営業しました。
挫折や苦悩を乗り越え、27歳で起業 菓子工房ダヴィンチを開業
専門学校を卒業後、初めての就職先は地元の小さな駅前のケーキ屋さんでした。今では死語のの丁稚奉公の名残があるブラック過ぎるお店でした。その後大阪神戸でケーキ屋を数軒渡り歩き、ある事をきっかけに27歳の時に、3年後に独立すると決め、休みの日もコンビニなどでバイトをし、開業資金を蓄え始めました。
3年後の独立を決めてから半年後に、興味本意で入ったある不動産屋で、気になる物件を見つけたんです。 不動産屋へ相談に相談したところ保証金600万、内装や厨房機器を含めると2000万近く必要でした。
まさか資金が集まるとは思っていなかったのですが、 親戚のコネで銀行との交渉が出来て、契約に要る600万の現金も妻の貯金、私の貯金、クレジットカードのキャッシュをかき集めてなんとか契約に至りました。あの時の600万円の厚みは忘れません。
「本気になれば、夢は叶うな」
と思いました。
私が27歳で、妻が25歳、2歳3歳の2人の幼い子供たちも居る頃でした。
震災で店はボロボロ、でも心はほっこり!
開業して僅か1年後に阪神大震災に遭遇、店も半壊でボロボロ、地元住民は避難。 とても営業できる環境ではなく、妻の実家の和歌山に避難しました。 でも、報道されている被災状況を見て、沢山の方々が寒い中大変な苦労をされているのに、私だけ暖かいところでご飯も食べてぬくぬくと居たら、バチが当たると思い、すぐに単身店に戻り、水やガスが途絶えている中できる範囲で店を再開しました。 その時来てくれたお客の「開いてて良かった! 」って言葉が忘れられません。お客様にとってはお店は街の一部で、再開するという事は、街が蘇る事と感じられたようでした。 少しづつ街は復興し、努力の甲斐もあり、売り上げを上げ続け、19年その場所で経営しました。
中国上海静安寺久光百貨店で、ダヴィンチ上海店をオープン!
駐車場問題や人を雇う大変さに心折れました。
当時の店には駐車場がなく、店の前の道路の路肩に車を止めて来られるお客様が多かったのですが、道路の拡張工事や近くに大型商業施設が出来て渋滞が起こり、車が止めにくい状況になっていきました。
そんな問題とともに
人を雇う事にも次第に疲れてきていました。人の事で妻とのケンカも絶えず、私の中で疲れが出始め、「ケーキ屋はこれでいいか 充分やな 頑張ってもしんどいだけやな」 私は店に見切りをつけ、
ある方との出会いをきっかけに中国の上海でケーキ屋を共同経営する事になり、11年間上海に行き来するようになりました。
その頃から次第に夫婦仲も悪くなって、冷めて来てたように思います。お店の売り上げも下がって行きました。
ですが、ある事をきっかけに
冷静になってよく話し合って、もう一度やり直すことになりました。
移転を考えていた矢先 2012年、妻がたまたま通りかかって見つけた今の1キロ程離れた場所に移転する事になりました。
お店に来てくれたシャンプーハットのこいちゃんと
TV放送で大ブレイク!!
移転した2年後、朝日放送"今ちゃんの実は…"の芸能人勝負土産のコーナーで当店のエクレアーノという商品が取り上げられました。 放送後は大ブレイク!連日大行列! ネット販売も、パンク状態。2日ほどで注文停止でした。 全国放送ですが、各地区で時間差で放送されたらしく、全国からお客さまが殺到! そんな状態が半年ほど続きました。
その後、紹介してくれたお礼にシャンプーハットのこいちゃんと2人で飲みに行けたのも、一生の思い出となりました。
北海道ルスツ高原山頂にて
ウィンタースポーツ
仕事柄ウィンタースポーツを楽しむのは難しいのですが、正月休みに家族とスキーやスノーボード行ったんです。 ところが家族には「寒いのはイヤや!」と大不評。 そこで、独りで行くようになりました。 「一人ぽっちで寂しくないのか?」と不安でしたが、これが意外と楽しくて、自分と会話するようなもので、仕事のストレスの発散になりました。
ミャンマーのお寺で
一人旅が好き
スノーボードがきっかけで覚えた一人旅。 北海道はススキノで行ったアジアン料理の店の影響で、ベトナムに興味を持ちベトナムやタイに行き、微笑みの国タイのバンコクがとても気に入りました。
当時は円も強く、物価はとても安くて食事も美味しく、人々も優しいタイのバンコクに毎年行くようになり、とても癒される年間行事となりました。
北海道もタイも行き続けて26年くらいになっています。
安い美味いが大好きです。
立ち呑み
最近、近所の立ち飲み屋が気に入ってます。 甲子園口・尼崎界隈は、安いし、旨い!! 出逢う方々の人間模様も楽しい 良く通うお店では、「この方ケーキ屋さんです!」って紹介され、しっかり営業にも繋がってます。安くて美味しいが好きなんです。
でも最近お酒も弱くなりました。 体も労わるようになりました。笑
□ あっ!今日は子供の誕生日やん!?
□ 結婚記念日やったっけ?
□ 今日も1日よう頑張った。
□ ダイエット成功!!さぁ、食べるぞ!